2017年9月14日木曜日

『サクラダリセット』-まっすぐでまっとうでまえむきな

 映画版ではない。原作小説も未読。
 思いがけず2クールにわたって深夜放送されたアニメ版『サクラダリセット』が終わった。1話目を見た時に、なんだか会話の面白い話だ、というのと、ぼーっと見てると話がわからなくなるな、というのと、でもアニメ的には随分質の低い作品だ、という感想で、事前知識はなかったから、その後どうするか決めかねていた。
 4話目くらいで、これはすごいかもと思い始めたのは、科白だ。
 思いもかけない、まっすぐでまっとうでまえむきで、かつ知的な科白が、陳腐で恥ずかしいと思うより感動的でさえあり、これはいいかもと思って見続けるつもりになったのだが、諸事情あって何話か録り損ねて、ただでさえわかりにくい話が、いっそう追っかけにくくなった。
 それでも後半の2クール目の方は、数話まとめて観るようにして、話を追えるように心がけた。そうして最後まで観た時には、ここ数年でも出色の物語体験だと言える評価となった。

 アニメーションとしては最後まで、あまりに凡庸な、まるで褒めるところのない量産深夜アニメレベルを脱しなかった。まあそれでも、やたらと可愛い女の子が出てきたり、竜や騎士や剣が出てくる異世界ファンタジーだったりしないだけ、うんざりはしなかった。ただひたすらに面白みのない真面目なアニメだった。
 だが花澤香菜と悠木碧の演技の見事さを思えば、これがアニメ化されたことに充分な価値があると思わざるをえない。たぶんこの先、原作小説を読んでも、この二人の声でしか読めない。そしてそれが十分に情感を盛り上げるだろうと思われる。

 そしてなんといっても、たぶん原作のすばらしさだ(もちろんそれを損なわなかった高山カツヒコの構成も賞賛したい)。未読だから「たぶん」なのだが、つまりは物語の見事さだ。
 複雑にからみあった論理の構築は、三原順を思わせる。三原順とは我ながら、いささか唐突な連想だとは思うが、筆者にとって、複雑な構築物としての物語についての評価の基準は三原順なのだ。
 ただでさえメインの時間が巻き戻るから、今見ている物語世界がいつで、「その時点では誰が何を知っているか」についての認識が、登場人物と観客の間でずれていて、物語を追う意識が混乱する。
 その上で十分に頭の良い3人の登場人物の思惑が、互いに相手を上回ろうと策略をめぐらす。それは相手も十分読んでいるだろうから、その上を行こうとすれば…と、まるで将棋や囲碁の対戦のような複雑な論理の絡み合いになる。しかも三つ巴で。
 寝る前のひとときに、眠りそうな頭で見るものではない。たちまち論理についていけなくなる。だがそれだけのレベルの論理であることはわかるところに驚嘆しつつ嬉しくなる。
 そして、最初のひっかかりであるところの、主人公をはじめとする登場人物たちの、まっすぐでまっとうでまえむきなこころざしが、最後まで物語を、すがすがしくも切なく感じさせた。
 実に驚嘆すべき物語だった。

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