2017年3月11日土曜日

『告白』 -精緻に組み上げられたミステリー映画

 『La La Land』はアカデミー作品賞本命と言われて、結局最優秀賞を逃したが、こちらは日本アカデミー賞最優秀作品賞。
 さてこれが、映画館で観る『La La Land』ほどに面白かったのだった。小さなテレビ画面で観ても面白い映画。テレビ画面の中にも「世界」を作れる映画。物語を楽しむ映画。映画館に観に行きたいとは思わないが、いずれ必ずビデオレンタルして観たいと思わせる映画。
 でも結局そう思っているうちにテレビ放送で観てしまった。

 生徒に娘を殺された中学教師が犯人に復讐する、という話の設定は知っていた。だが序盤で犯人が特定されてしまい、そこを謎として引っ張っていく物語ではないのかと意外に思っていると、なるほど、『告白』とは、主人公一人が事件について語るだけでなく、登場人物それぞれがそれぞれの視点から事件を語る物語なのだった。
 いわゆる「藪の中」物。
 物語の中のさまざまな要素が、視点を変えると別な意味を露わにする。事件自体も緩やかに展開していく。
 アカデミー賞では『悪人』に俳優賞を独占されてしまったが、脚本賞と監督賞を獲った挙げ句の作品賞は当然だと思われる(というか『悪人』の面白さがわからなかった)。ミステリーという、作品の要素の絡み合いの妙こそが魅力の物語の枠組みを、これほどの精妙さで仕立て上げる脚本と演出と編集が何よりすごいのであって、人間ドラマに見所があるわけではない。そもそもが「イヤミス」の称号をつけられるほど、登場する人物も不愉快だし事件の顛末も後味が悪い。とりわけ橋本愛演ずる美月の顛末は、それでいいのか、という程の後味の悪さだった。
 だからいたずらに文学的に味わおうというのではなく、作り物の見事さに感心するべきなんだろう。松たか子の悲しみがいくら見事な演技とともに胸に迫ったとしても。
 
 ところで、岡田将生が『告白』『悪人』で助演男優賞をダブル受賞しているが、どちらも見事な汚れ役であっぱれだった。もちろんどちらも演出の確かさの問題でもある。

 後からわかって驚いたこと。
 原作は、もともと最初の、女教師の「告白」で完結した短編だったのだそうだ。なるほど。映画は、それを序章とした長編の扱いだから、あれ、ここでわかっちゃうの? と意外に思ったのだった。
 それよりも衝撃的だったのは、エンドロールを見ていたら、そこに能年玲奈の名前を見つけたことだ。あの、不自然に暗い教室では、誰が誰やらわからないので、まったく気づかなかった。
 さて冒頭から早送りで見てみる。最初の牛乳を飲む数人の生徒のアップの一人がどうやらそうだと思われる。カットはほんの一瞬、台詞はなし。後の方でいくら探しても見つからない。
 しかも、なんたることか、これがそうだろうと一旦は思った女の子が実は違っていた。それくらい確信はなかったのだが、ネットで当時の写真を見ると、別のカットの女の子がそうなのだ。言われてみれば確かにそうだ。だが予備知識なしで見ても絶対気づかない。じゃあ、最初にそうかと思ったのは結局誰だ?
 まったくどうでもいい話ではある。映画の出来にまるで関わりがない。だが不思議なことに、HDに録画されているこの番組のサムネイルが、能年玲奈なのである。映画の中のほんの一瞬のその画面。
 録画番組のサムネイルは、録画の最初の場面ではないのか?

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