2016年12月23日金曜日

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 -文句のない娯楽作

 前にマンガ版を読んでいた。タイム・ループという設定が面白いことは、前に『トライアングル』について書いたとおり保証済みなんだが、やはりそれも料理次第。マンガ版は連載を追っている途中で飽きてしまったのだが、さて映画はどうか。
 これが実に面白くて、さすがハリウッド、さすがトム・クルーズとうなってしまった。監督は『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマンときけば、なるほどと納得。
 そういえば、もちろん良くできていた『Mr.&Mrs. スミス』は、物語としてはがっかりだったのだが、今作については物語としても、タイム・ループ物の楽しさを充分に表現していた。
 繰り返してその経験をしているから、他の者に先んじて展開を知っていることの優越感を描いたり、かと思えば「これは初めての展開だ」と主人公に言わせて、その試行錯誤のサスペンスやワクワク感を観客に伝えたり。
 例えば一回目の経験で死んでしまう仲間を、二回目では救おうと試みて自らも死んでしまい、三回目は見捨てる、とか、三歩進んで一呼吸待って先へ進む、とか、試行錯誤の過程に多くのアイデアが盛り込まれてるのは、さすがハリウッド、チームで制作しているらしい脚本の練られ方をしている。

 そういえば最近、劇団キャラメルボックスの『クロノス』の脚本を素人劇団の舞台で見たばかりなのだが、あれもタイム・リープの物語なのだった。事故死する思い人を救おうと何度も過去にタイム・リープする物語。ループではなくリープなので、主人公の時間は経過してしまうばかりか、戻るときに反動で遥か未来に跳ばされてしまう、とかいう設定が付随している。
 で、これがなんとも酷い物語なのだった。それはその劇団の演出の問題なのか、脚本自体の問題なのか(まさか梶尾真治の原作の問題だとは思いたくない)。演出の問題としては、人物の感情の表出がいちいち不自然に劇的で、物語、場面の論理に即していないことが何とも気持ち悪かったのだが、脚本の問題としては、なんともはや、タイムリープについての工夫があまりに浅はかに感じられて、それと比較したときに、ハリウッド映画の層の厚さを思い知らされるのだった。

 映画終盤がどうも尻つぼみという印象があるのは否めない。ループできなくなって、死のサスペンスが増すかというと、逆に、死んだらおしまいということは、これ以降は、主人公は失敗しないということだと思えてしまって、逆にサスペンスの強度が下がる、という指摘は宇多丸さんによるものだが、卓見である。

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