2014年12月25日木曜日

『トゥモロー・ワールド』

 全く予備知識無しに観始めてすぐ、菅野よう子作品時代の坂本真綾のとりわけ素晴らしい曲の一つ「ピース」の冒頭の「暗い未来の映画って大好き」というフレーズを思い出してしまった。坂本真綾のいうのは恐らく『ブレードランナー』あたりなんだろうが、我々の世代はすべからく『ソイレントグリーン』を思い出すべしである。まあそれはともかく『トゥモロー・ワールド』である。いやはやおそるべき映画だった。「暗い未来」が画面の中に実在している。そしてその退廃的な空気がなんだか懐かしくも重苦しい。そして美しいのである。
 とにかく「画」としての美しさがいちいち尋常じゃない。ロケにしてもセットにしても、光の当たり方から角度から、考えずに撮っていてはああいう画は撮れないはずだ。だからといってもちろん、美しい風景を撮った環境ビデオなどではなく、緊迫感溢れるSFサスペンスなのである。
 いちいちの演出も考え抜かれている。カメラをどこから撮って、そこで登場人物達やら物語の動向やらがどんな動きを見せるかを、細心の注意を払って演出しているのが端々から感じ取れる。
 とりわけラスト近くの戦闘シーンの緊迫感は尋常じゃなかったし、驚異的な長回しにも心底驚かされ、「映画」としてはオールタイム・ベスト10クラスだぞと興奮して、それにしてはアルフォンソ・キュアロンって監督は知らんなあ、などと暢気に思っていた浅薄を今となっては恥じる。調べてみると『ゼロ・グラビティ』で今年話題だった監督じゃないか。それどころか、うちの子供達とも共通認識の『ハリー・ポッター』シリーズ最高傑作『アズガバンの囚人』も監督している。あれは実に面白い映画だったが、まあ原作が良いのかも知れぬと思っていたから、今回のことでやはり監督の力量でもあるのだとあらためて認識した。
 で、驚異の長回しは、やはりそれが“売り”なのだった。ネットでの言及もいちいちそれだ。で、なおかつ“驚異の”は、特殊な技術で合成することによって実現したものだと知って感心しこそすれ、がっかりはしなかった。三池崇史とか山崎貴とかのCG合成には大抵の場合がっかりしてしまい、なぜこれを実写にする、アニメにすればいいのに、と思わされるのに、外国のこの手の特殊撮影の技術の高さはどういうわけだろう。日本がこういう分野で明らかに遅れをとっているのは不思議だ。まあその分、二次元アニメに特化して人材が集中しているということか。
 だからといって映像技術がただ素晴らしい映画だったというわけではない。物語を追う流れのどの断片も、熟慮をこらしたらしい細心の演出がなされていると感じさせる「映画」的描写力が素晴らしいのである。ついでにいえば、冒頭の爆発といい、ジュリアン・ムーアの死亡にいたる襲撃シーンといい、椅子に座る後ろ姿のマイケル・ケインが自殺しているのかと思わせてただの居眠りだとわかるシーンといい、赤ん坊の出現で戦闘が中断したと思ったらたちまち再開するシーンといい、いちいち観る者の予断を裏切るギミックもサービス精神旺盛だ。
 惜しむらくは、結局物語的には弱かったことだ。そこが文句なしにベスト10クラスと評価しきれない瑕疵ではある。もちろん大きな瑕疵でもある。『トゥモロー・ワールド』という偽英題(英語かと思いきや邦題だという。原題は『Children of Men』だって。)のがっかり感は許すとしても。赤ん坊が生まれなくなった世界の絶望感は、胸に迫るほどの共感力はなかったし、だから赤ん坊の存在で戦闘が停まって、人々が道を空けるシーンは感動的ではあったが、もっと大きな物語の中にこのエピソードが位置付けられなかった期待外れは否めない。

2 件のコメント:

  1. そんなにオモロイんかいな
    見てみよう
    TSUTAYAつたや

    面白い!ポリズンブレイク
    でした。
    観たかな?

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  2. プリズン ブレイク
    の間違いでした m(_ _)m

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