2014年11月25日火曜日

『孤独な嘘』『婚前特急』

 忙しい時間の隙間を縫って、ハードディスクの残量がカウントダウンになりつつあるのを気にして、録画されている映画を観る。
 『孤独な嘘』(「Separate Lies」監督:ジュリアン・フェロウズ)は「アカデミー賞スタッフによるサスペンス」という触れ込みに釣られて観てみると、監督はこれが初監督作品なのだった(プロデューサーや出演者がアカデミー賞受賞者のようだ)。それが後で調べてわかって驚くほど、堂々たる画面構成で、演出で、編集の、格調高い映画だった。すっかりベテラン監督の風格だと感じたのだが。
 が、お話としては、あれでいいのか! という不全感が強い。自分に置き換えて納得できる範囲を超えている。交通事故で人を死なせて隠蔽したままでいいのかとか、妻の不倫をあのように容認したままでいいのかとか。もちろんサスペンスでもない。それは許すとしても、ああ共感も感銘もなく、映画的表現のレベルの高さだけが際だつ作品をどう受け止めたものか。


 一方、日本映画の『婚前特急』(監督:前田弘二)もまた、偶然にも初監督作品だった。なおかつこちらも、あれでいいのか! という不全感が強い。『孤独な嘘』同様、こちらもネットでは「納得できない」コールが激しいが、むべなるかな。吉高由里子が、気の迷いのように浜野謙太と結ばれてしまうのが、どうみても結局気の迷いのようにしか感じられなくて。それなりに納得できる面もあるよ、とかいう余地の無いほど、ハマケンの演じる男はどうしようもないと思うんだが。
 でもなおかつ、悪くない映画だった。吉高が可愛かったとかいうのも認めてもいいが、『孤独な嘘』などとはあまりに対照的な日本映画的、手作り感が。
 それと、途中のワンシーンがあまりに印象的だったのに驚いた。ハマケンのアパートに向かう吉高が街を歩くシークエンスが長々と挿入されているのだが、この街の風景が、なんだかこの世のものではないような感じなのだ。視界に人影がなく、強い風が街路樹や吉高の髪を靡かせる。ふてくされたような、放心したような表情で、体を投げ出すように歩く吉高の感情も、言葉で掬いきれない複雑なもののように感じられる。吉高からかなり遠い向こうにある樹のざわめき方からすると、あの風はロケ当日に偶然なのか狙ってなのか、実際に吹いていたのだろうと思うが、それがどうしてあんな違和感を感じさせるのかわからない。太陽の位置も判然とせず、「朝」だとか「昼」だとか「夕方」だとか名づけられるような、どういう時間帯だとも言えない。
 そしてそうした街角を望遠で平面的に捉えておいて、手前に吉高の脚が焦点の合わないまま表れたかと思うと、低い位置に置かれたカメラから遠ざかるように奥に向かって歩くにつれて平面的な街に嵌め込まれるに焦点が合っていく。それでも縮尺から、奥行きはあるようにも見える住宅街は人影が絶えて、遠くの方で樹がざわめいている。
 こういうカットが撮れるのは「センス」によるものか。それとも私が知らないだけで定番の技法なのか。いずれにせよこのカットだけでハマケンも許す。
 ところでハマケンって、在日ファンクのあの人か!

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