2014年8月30日土曜日

「君が僕の息子について教えてくれたこと」「この星のぬくもり」

 ツイッターでも触れたNHKのドキュメンタリー「君が僕の息子について教えてくれたこと」を再放送で見直してみると、最初に見たときには途中から偶然見始めたと思っていたのだが、冒頭のほんの数十秒のみが未見で、ほとんど全部見ていたのだった。やはりいくつかの場面でこみ上げてしまったし、相変わらず興味深いとも思い、勢いで「この星のぬくもり」(曽根富美子)を十数年ぶりに読み返した。何度となく読み返しているマンガだが、これも相変わらず感動的で、やはり面白い。
 「君が」も「この星」も、自閉症者が自らの心中を的確な言葉で表現することでようやく我々に彼らの心中がいくらかでも想像することが可能になっているという稀なケースを実現しているのだが、これはある種の異星人もの、あるいはアンドロイドものの優れたSFが可能にしている面白さを連想させる。たとえば「パラサイト・イブ」は、あんなに突拍子もない生命体(細胞内のミトコンドリアが自立した意識を持った生物であるという設定)を描いているにもかかわらず、その意識があまりに俗物な人間であることに心底白けたものだが、「寄生獣」やTVシリーズの「ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ」は、人間的な類推でその心理を想像していると、時折疑心にかられるという微妙な描写をしていて実に面白かった。この究極の形である「惑星ソラリス」は類推がほとんど通用しない異生命体(かどうかも怪しいが)を描いていたが、あそこまでいくと「面白い」が「感動的」ではない。
 この、「心理を類推することが妥当かどうかを改めて考え直させる」作品として最も感動的なのは、萩尾望都の「A-A'」だと思う。「何を考えてるかわからない」という他人の認識(というか読者の認識)が充分に明晰であって、なおかつ本人の、共感可能な感情が他人の目に垣間見えた時こそそれらの作品は感動的になる。「君が」も「この星の」も「A-A'」もそうだ。そしてそれらは感動的であると同時に、やはり面白いのである。

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