2014年8月25日月曜日

休日の映画 ~『のぼうの城』『グッドウィル・ハンティング』

 見た映画や読んだ本の記録をつけておきたいとは、もう数十年来思ってきたことなのだが、いっこうに実現しないまま過ごしてきた。
 で、ブログという形式はまさにそれをやるためにあるんじゃないか、とは思うものの、実行しようとすると結構に負担だ。題名だけ示してもしょうがないから、ちょっと気の利いた感想くらい言わないと、とか考えるとなおさら。

 で、今日は二本観た。録画するテレビ放送の映画を消化するのもいっぱいいっぱいで。

 『のぼうの城』は、期待したよりも(といいつつ無視できずに録画してしまったのだが)面白かった。野村萬斎はもちろん、どこにもここにも出てくる佐藤浩市はやっぱり安定して、演出がはずしさえしなければ良い演技をするし、成宮や榮倉のように時代劇向きでない役者まで、なかなかに観る者の感情を共振させるような演技をしていたのだった。いやもちろん榮倉を大根だと言うことは可能だが、それでもいろいろな場面でそれぞれの登場人物が快哉を叫ぶとき(実際に叫んでいるというわけではなくとも)、その叫びに観客が同調してしまうようなうまい演出がされていたと思う。
 それでも、籠城ものの知恵比べ、技比べ、人間としての度量比べみたいな見応えは、たとえば「ダイハード」みたいなスタンダードはもちろん、私にとっては永遠の名作「冒険者たち~ガンバと15ひきの仲間」のような幾重にも重ねられた攻防の妙と比べると当然ながら軽いのだった。「獅子の時代」の会津戦争の籠城戦も、まああれは時間のかけかたが違うから比べるのに無理があるが、はるかに重厚な人間ドラマを見せてくれたし、それらの名作群とはやはり比すべくもない。
 だがせめて映画館で一息に、集中して観れば、かなり面白い映画だったかもしれない。映画館の暗闇で2時間くらい映画を見続けるというシチュエーションが、「籠城」という状況に感情移入をさせやすくするかもしれない。テレビで、しかも途中に日を挟んで観るなんて、映画にとってフェアな批評にならないかなあ。やっぱり。

 もう一本。『グッドフィルハンティング』はさすがの鉄板名画。最後の「君は悪くない」連呼で折れて全面和解にいたるところは、感動的と言うべきか白けるというべきか迷うところではあったが(どっちの感想も同時に抱いたのだった)。
 森博嗣の犀川先生ものでも、「天才」をどう描くかは難しいよなあとよく思っていた。天才にあらざる作者がどうやって天才を描けるだろう。しかもそれがちゃんと天才として感じられるように。
 一つの方法は、凡人の「時間」を超越することであり、脚本の段階でのリサーチが手堅ければここはクリアできる。この映画でもここをしっかり抑えて、「時間」を凝縮できるウィルの天才ぶりを描いていたが、もう一方の、認識の深さや複雑さについては、むしろわざとウィルを凡人として描いていたと考えるべきなのだろう。
 それより、観ていて何度か「うまい!」と(文字通り、隣で観ていた娘に向かって口に出して)唸ってしまったのは、たとえば彼女との会話。自分をさらけ出すことに対する恐れから、素直になれない感情のせめぎ合い、思考の迷い(しかもそれは無論、愚鈍さの表れではなく明晰であるからこその迷い)が、見事に描けていた。この機微が見事に演じられていたマット・デイモンもロビン・ウィリアムズも、アカデミー賞に値するのは納得。

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